2008年楽書き帖

そろそろ冬ですね

 投稿者:hannya  投稿日:2008年12月 8日(月)13時10分3秒
  12月6日に北陸4人組はゴルフを予定していたのですが、積雪のため中止、残念です。
ところで先週は東京へ出張していました。5日に帰ったのですが、帰る前に渋谷へ寄り道して岡本太郎の明日の神話を見てきました。富山市の美術館にも同名のミニチュア(と言っても幅が4〜5メートルはある)があるのですが、フルサイズの大作は迫力がありました。ちょうど通勤時間帯で、作品がある連絡通路は行き交う人の群れにあふれていましたが、絵には目もくれないで先を急ぐ人達には不似合いな場所とも映りました。
渋谷へ行く際に、西新宿のホテルから新宿駅まで高層ビル街を歩いたのですが、ケヤキ並木から落ち葉がひっきりなしに落ちており、絶えずカサカサと音がしていました。路上にたまった落ち葉が風に吹かれて、波を打つように行ったり来たりしていました。
昔、白山の岩間道を一人で歩いた時に同じような経験をしたことを思い出しました。林の中に入るとひっきりなしに落ち葉が落ち、カサコソとどんぐりも落ちていました。都心の高層ビル街で山歩きと同じ感覚を覚えるというのは変な話です。高岡にいると日常的に移動は車なので歩くという事がありません。歩くことに付随する体験が、都心にも山にも共通なものがあるということのようです。

http://www.senmaike.net/tonakai17/0810kanaya_rakuiti.html

 


記憶の中の仲間

 投稿者:大野慶子  投稿日:2008年12月 2日(火)12時30分49秒
  磯部さんも村中さんも、そして元木さんも、20代のあの頃のままです。
(福島さんと塚本さんは、先年お会いしたので、更新しましたけれど)
写真の中の村中さんや磯部さんは、将来、自分が先に逝くなんてこと、微塵も想定していないのに、こんな現実となるなんて。だれもが、拒みたくても拒みきれない事実として受け入れながら年を重ねていく、そんなものなのでしょうね。
みなさん是非ぜひお元気でいてください。
 


磯部君の昔の写真

 投稿者:hannya  投稿日:2008年11月30日(日)09時16分6秒
  塚本君から写真が届いたので、昭和44年8月の九州旅行の磯部君の写真を「昔の写真館」に改めてアップロードしました。村中君、福島君、塚本君が一緒に行ったものです。若かったですね〜。

http://www.geocities.jp/sinichirou528/mukasinosyasin/framepage30.htm

 


ご無沙汰・・・

 投稿者:遠藤  投稿日:2008年11月24日(月)00時19分24秒
  久しぶりに覗きに来て訃報に接しました。
同期生の悲報は身を切られる様に辛いものがあります。
元木君や村中君の早世も残念でしたが・・・みんな同期で・・・
ただただ涙、ご冥福をお祈りいたします。
 


そうでしたか。

 投稿者:笹村 出  投稿日:2008年11月23日(日)14時50分38秒
  磯部さんは、私にはとても不思議な人でした。
印象の深い、人とは違うパワーをあふれさせていました。
際立って優しいひとで、際立って鋭いひとで、
少年のようで、老成しているようで。忘れがたい人です。
ご冥福をお祈りします。

ただただ残念です。

 投稿者:大野慶子  投稿日:2008年11月21日(金)09時51分7秒
  去年のOB会の集まりで、初めて磯部さんが糖尿ということを聞き驚いていました。
その次の知らせが訃報というのは、残念でなりません。
美術部の部屋の中での磯部さん像が思い出されるばかりです。
まだ年齢的にも早すぎて、ご家族の方の悲しみはさぞかし、と思われます。
この悲報を聞いて、どう対応していいかも判りません。
冥福を祈ってくる、という松木さんに、思いを重ねるぐらいです。
ああ、残念です。
 

磯部君の訃報

 投稿者:hannya  投稿日:2008年11月20日(木)12時00分45秒
  高岡では早すぎる雪が降り、今日は5センチ弱の積雪です。
高岡市では高岡の近世文化遺産群を世界文化遺産に登録申請しているのですが、金屋町の町並みはその中の一つとして含まれているんですよ。また重要伝統的建造物群として国の指定を受けようと、動き始めているところです。ちなみに最近は観光客が目立つようになっています。
ところで訃報です。松木君から以下のメールが届きました。
「遅れましたが、礒部芳明が11月7日糖尿病と胃がんで息を引き取りました。58歳の人生でした。息を引き取る前の日福井へ見舞いに行きました、朦朧としながらも”有難う”と言ってくれた礒部の言葉が忘れられません。明日、福井へ行って冥福を祈ってきます。」
 

名古屋も寒くなりました。

 投稿者:大野慶子  投稿日:2008年11月20日(木)09時43分40秒
  楽市楽座から来ているネーミングなのですね。風雅!
お天気が良くて良かったですね。
金屋町は行ったことがないですが、町並み保存されているのですか。そぞろ歩きに風情を感じる街並みですね。
 

金屋町 楽市

 投稿者:hannya  投稿日:2008年11月12日(水)08時02分45秒
  ずい分とご無沙汰しました。金屋町で新たなイベントが行われました。富山大学芸術学部(旧高岡短大)と高岡市が主体となり、建築家の大隅研吾氏や、大樋焼き・有田焼・博多人形などの名工達を全国から集めての気品高い楽市です。美術クラブで同級生だった工藤泰子さんもお弟子さん達と呈茶コーナーを開設して活躍していました。下記URLです。

http://www.senmaike.net/tonakai17/0810kanaya_rakuiti.html

 

毛勝岳

 投稿者:hannya  投稿日:2008年 7月28日(月)13時02分57秒
  大野さんのブログを読みました、よくまあ繁く書いていますね、感服です。毛勝岳は片貝川から入り、大明神尾根から登りました。1年目は大雪で雪崩が頻発したので退却し、2年目に登頂しました。そういえば毛勝三山の一つである赤谷山へ、赤谷を遡行して登ったことがありました。秋でしたが、予想以上にてこずって時間がかかりテントまで戻れなくてビバークしたのですが、朝6時に行動開始してビバークを決断して行動終了したのが夜10時でした。現在は考えられない体力があったものです。
ところで7月26日にいつものメンバーで、暑さに負けず恒例のゴルフの会をやりました。夜は2年ぶりに、水島家のログハウスで焼肉パーティーです。
 

(無題)

 投稿者:大野慶子  投稿日:2008年 7月19日(土)21時41分54秒
  雪の北アルプスって、見事ですよね。
もちろん、私には見るだけですけれど。
で、去年の駄文も、ずうずうしく貼り付けて見ます。

http://blog.goo.ne.jp/salubia2070/e/de7c0a0e7c3ebce4b777b9d7eb0a370b

毛勝岳は、去年夫の母が暮らしている部屋から、指差して教えてもらいました。

http://app.blog.livedoor.jp/salubia2070/tb.cgi/51029292

 

剣岳

 投稿者:hannya  投稿日:2008年 7月17日(木)16時00分31秒
  大野さんは高校1年の時に剣岳へ登山したのですか。僕は5月から11月の期間に、剣岳のいろんなコースを歩きました。いつか正月登山をしたいと考えていましたが、これは果たさぬままに登山から遠ざかっています。
剣岳への前哨戦として、北側に連なる毛勝岳へ2年がかりで正月に登頂したことや、池ノ谷をつめて三の窓経由で登ったこと、小窓尾根ルートで怖い思いをしたこと、5月の残雪がある時期に宇奈月から僧が岳へ入り北方稜線を何日もかけて藪こぎしたことなどが、懐かしく思い出されます。
室堂平の玉殿など、当時はその存在を知っていても見向きもしなかったところへ、改めて訪れてみたいななどと感じています。

http://www.geocities.jp/sinichirou528/topics/0804_uozu_cc.html

 

般若さん、私も去年読みました。

 投稿者:大野慶子  投稿日:2008年 7月14日(月)16時57分55秒
  地名を懐かしく思いながら読みました。
自分のブログに自分が登った時のことを織り交ぜて、駄文書いています。

http://blog.goo.ne.jp/salubia2070/e/91dc220dbfd61cd035358fd7253b76a8
 

剣岳・点の記

 投稿者:hannya  投稿日:2008年 7月14日(月)13時11分53秒
  ご無沙汰しています。小説はあまり読まない自分が、珍しく新田次郎の「剣岳・点の記」を読みました。映画化するために富山県内でロケ撮影をしていたことから興味を持ったものです。
明治末期に、当時は未踏峰とされていた剣岳と周辺の山々に三角点を築き、測量して一帯の地図を作るという仕事を通して、苦労の末に登頂して役目を果たしたという実話に基づいたドラマです。
自分が昔山登りに熱中していた頃に、剣岳には一際憧れがあり、周辺を含めて何度となく訪れた地域です。小説は、剣岳の別山尾根、早月尾根、北方尾根と試して見るがことごとく困難な岩に阻まれ、最後に長次郎谷から登頂に成功したというストーリーです。自分自身その4つのルートをそれぞれ複数回登ったことがあります。ですから読んでいて臨場感があり、とても共感を覚えながら読み進みました。彼らが長次郎谷ルートで登頂に成功したのは7月で、頂上直下に困難な1枚岩があり、それを克服したとありました。自分が登ったのは5月で、頂上直下までスキーを担ぎ上げ、帰りは一気に滑り降りました。5月には雪がたっぷり残っていておそらく雪の下に埋もれていたのでしょう、その困難な1枚岩はなく簡単に登頂できました。
来年に全国で放映が予定されている映画を見るのが楽しみです。
 

花見写真を追加

 投稿者:hannya  投稿日:2008年 5月11日(日)10時30分6秒
  塚本君から写真が届いたので、花見ゴルフのページに写真を追加しました。

http://www.geocities.jp/sinichirou528/topics/0804_uozu_cc.html

魚津CCで花見をしました

 投稿者:hannya  投稿日:2008年 5月 6日(火)17時03分5秒
  4月13日に、北陸4人組の恒例ゴルフの会を魚津国際CCで行いました。この日は花見の狙いが見事に的中し、コースは桜が満開で一番の見ごろを楽しんできました。
遅くなりましたが写真をアップロードしました。下記URLをクリックです。

http://www.geocities.jp/sinichirou528/topics/0804_uozu_cc.html

 


金屋町

 投稿者:笹村 出  投稿日:2008年 3月 6日(木)16時48分41秒
  般若さんの家を訪ねたのは、もうはるかな昔で、
30年以上前になります。
独特の雰囲気の金屋町でしたが、
今も、きっと、そう違わないまま、あるような気がします。
般若鉄工所。編み物教室。細長い家で、天井を突き抜けるような階段。
山登りの相談などしました。
 


般若さん、拝見しました。

 投稿者:大野慶子  投稿日:2008年 3月 3日(月)14時40分49秒
  地域に根ざした活動を、きちんと積み上げていらっしゃるのですね。18歳で故郷を富山県を離れて、転々と生活の場が替わったものから見ると、地元に根を下ろした暮らしをしてこられたのだと、改めて思います。もし、自分がそういう暮らし方をしていたら、どうだっただろう、ふと、そんなことを考えたりしました。ますますのご活躍期待しています。  


般若の新聞記事

 投稿者:hannya  投稿日:2008年 3月 2日(日)09時08分31秒
  皆さん元気にしていますか?北日本新聞のローカル面に自分の記事を見つけました。下記URLをクリックです。

http://www.senmaike.net/tonakai17/08topics/080301_kitanihon_sinbun.html

 


スキーの会

 投稿者:hannya  投稿日:2008年 2月10日(日)16時09分22秒
  ずいぶん久しぶりに書き込みます。北陸4人組(塚本、水島、佐野、般若)で恒例のスキーの会を、昨日から今日にかけて行いました。山田温泉 玄猿楼に宿泊し、牛岳温泉スキー場でスキーです。大浴場あり、岩風呂あり、露天風呂ありで、今回はおもに温泉を堪能してきました。

http://www.senmaike.net/ssc/2008/takaoka_sitai_2renpa.html